ものぐさ精神分析 (中公文庫)
岸田 秀ものぐさ精神分析 岸田氏の中で一番長く残るのはこの本かな、やはり。伊丹十三氏の推薦腰巻きに惹かれて買ったのが26年前か 「心理学の先生でこんな面白い本を書く人は居ない」というような惹句だったと思う。
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続 ものぐさ精神分析 (中公文庫)
岸田 秀青土社のオリジナルシリーズでは3作の「ものぐさ精神分析」「二番煎じものぐさ精神分析」「出がらしものぐさ精神分析」の3部作になっていた。これらが文庫版2冊に完全収録されているのかはわからない。そこいらへんに触れたユーザーレビューも28もあるわりに一つもないというのが悲しいなあ。自分で書こうとは思っているが古本市場などに出ないと買う気がしない。
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嫉妬の時代
岸田 秀もくじ 第1章 「三浦和義事件とは何だったのか」第2章「戸塚ヨットスクールと戦後教育」第3章「豊田商事にみる資本主義的構造」第4章「積木くずしが物語る親子関係」第5章「なぜ鹿川君はいじめられたのか」第6章「写真週刊誌が拠って立つモラル」第7章「嫉妬とは何か」○五つの事件に関する章は、主として飛鳥新社の高橋慧氏が質問し、わたしが答えたものを高橋氏が原稿にし、それにわたしが加筆訂正してまとめた。
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不惑の雑考 (文春文庫)
岸田 秀○本書のタイトルを「不惑の雑考」としたのは、主として四十歳代に書いたものを集めてあるからである。○単行本昭和61年1月文春 後書きは昭和60年11月 解説 大鶴義丹 6p
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希望の原理 (岸田秀コレクション)
岸田 秀○本書はわたしの最初の語り下しの本で、85年4月に朝日出版社から出版された。語り下しというのは編集者がいて筆者にいろいろ質問し、筆者がそれに答え、最終原稿のときに編集者の発言を消すか、または筆者の発言に織り込んで本をつくるやり方である。○ ということで大変にわかりやすい本であります。ただわかったと思いこむのにはなんら客観性を必要とはしないのですが。
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ものぐさ箸やすめ
岸田 秀○ あとがき 本書は文藝春秋から出る三冊目の雑文集である。本書も雑文集の名に背かず、さまざまなテーマについて書いた文章が統一なく並んでいる。おおまかに言えば、第1部は日本と諸外国とのかかわり、第2部はセックスの問題、第3部は雑文集のなかの雑文集、第4部は本について書いた文章である。 中略 第2部も同じで、ここの文章はすべて、二十年足らず前に書いた「ものぐさ精神分析」のなかの「性的唯幻論」の延長・・
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幻想の未来
岸田 秀目次「対人恐怖と対神恐怖」「引き裂かれた人間」「甘えの弁明」「卑屈さの研究」「ふたたび自我の問題」「真の自己」「自我と欲望」「自我の支えの否認」あとがき ○本書は「文藝」の1983年9月号から・・「唯幻論」のタイトルで連載した・・本書のタイトルは・・フロイドに同名の著述があり・・幻想とは宗教(キリスト教)を指し・・わたし(岸田)は自我信仰こそが現代のもっとも強力な宗教であると考えている・・
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二十世紀を精神分析する (文春文庫)
岸田 秀解説 岡田斗司夫 こういう社会時評は岸田理論というか岸田幻想、岸田解釈の応用として面白く読める。平明に書こうという岸田氏の姿勢は一貫しているので岸田氏から世界がどう見えているのかは面白い。橋本治さんが、幻想なのはわかったけど、じゃあその先は、というようなことを何かで書いていたと思う。
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幻想に生きる親子たち (文春文庫)
岸田 秀この本を読んで得た物 岸田秀氏が禁煙したと 脳動脈瘤手術のことではないかと思われるが1ヶ月の入院で禁煙して、再度禁煙するには1ヶ月の入院が必要だと思うともったいなくて禁煙をやめられないと いうようなことが書いてあったかと。題名通りに家族関係に限定されているわけではなくて、「不惑の雑考」などと同じエッセイ集。
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性的唯幻論序説 (文春新書)
岸田 秀人間は本能の壊れた動物である。いつものフレーズから始まる。正常な性交ができないということは不能ということである。この本書の前提となる文章にはあきらかな飛躍がある。人間は不能であると言い切っておいて、「しかしそれでは人類は滅亡するので、人類文化は幻想に頼っていろいろな策を講じ、何とかある程度は不能を克服してきた」 ここいらへんが岸田節なんだろうな。幻想に頼ってというのがまるで有りもしないものに頼る※
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日本がアメリカを赦す日 (文春文庫)
岸田 秀※ような表現。言葉遊びだろう。人類が滅亡するのでと考えて勃起するわけではないよ。幻想に頼ってというのが、例えば童貞や処女がオナニーするときに挿入したことがない という事実と混同するようになっている。 まあ良いか。日本がアメリカを赦す日 こちらもアメリカの子分というユニークな表現を使っている。岸田氏はジャーナリストとかブロパゲーターには才能があるんだろうな。性関係とか森羅万象が幻想だという見方※
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唯幻論物語 (文春新書)
岸田 秀※には反発するが、国を擬人化する見方は面白く読める。 唯幻論物語 小谷野敦氏の批判に応えるという形で改めて母親と岸田氏の関係を考察している。やはり「自分の神経症が直ったのだから自分の親子関係に関する自分の解釈は間違っていないのだ」というのを感じる。感情としては当たり前だと思うが。
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ものぐさ箸やすめ―アメリカと日本、男と女を精神分析する (文春文庫)
岸田 秀ものぐさ箸やすめ 「全ては幻想である」というのは「夢はうつつか幻か」というのとあまり違わないような。むしろ「全ての認識は基盤がない」とでも訳したくなるね。幻想という言葉を使うと格好良く感じるのと、何かひとつ深いレベルでわかっているようだが、実はそれは言葉による錯覚なわけであろう。幻想ではなくて錯覚、唯錯論では売れなかっただろうなあ。死の不条理感は生の不条理感に繋がりそれを唯幻論という言葉で慰めるト
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母親幻想
岸田 秀母親幻想 「人間は本能が壊れた動物である」 「人間は本能が不完全な動物である」「人間は本能が社会生活によって修飾された動物である」 いつも感じる疑問は売文のために独自性を出そうとするためにややどぎつい言葉になるのではないかと。壊れているならば、なぜ壊れている物が人間社会として数千年、数万年繁栄を続けているのかが不思議だという気持ちを利用しているのではないかと。本能のままに行動することができな※
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フロイドを読む
岸田 秀※くなったために文化や言語が発生した と書いているがそんな風な前後関係が成立する物なのだろうか。言葉だけのものではないのか。という前提条件への疑問がある。まあそれは良いとして。母親幻想 子供の「ママ」という呼び方が一般化してゆく過程と、教育ママや塾、新興宗教がはやってゆく過程とは、ほぼ重なっています。全部つながって派生してきた現象です。 うーん、、これも無理があるような。 フロイドを読む 実は※
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幻想の未来―唯幻論序説 (講談社学術文庫)
岸田 秀フロイドについては殆ど論考、解説はされていない。 幻想の未来 「日本人は対人恐怖症であり欧米人は対神恐怖症である」ふーん、、。では数多いと思われる無神論者の欧米人には対人恐怖が日本人と同じようにみられるのであろうか。これもなんかなあ。というか短い文節を抜き出してイチャモンは非常につけやすい本ばかりである。幻想の未来も同じである。カスタマーレビュー、褒めすぎでないのかなあ。まあいいけど。
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